2025年02月13日
ようやく通常営業
先月は目の手術でノーラン

そこへ来て幅広の足が原因で、小指の横っちょが擦れてイテテテテ

結局、しもやけじゃなくて内反小趾から来る外傷でした。

靴履けなくてビーチサンダルで過ごして、それで冷えて風邪ひいた(・・?
39℃の高熱だして(流行り病ではない)寝込んで最悪

とにかく大イベント控えているので、気合いで体調良くしないと!
まずは新年会


この方々、底なしに飲む飲む・・・いつもお世話になっております

そしてようやく当たったサザンオールスターズ様



弾けすぎて、今ではこの先どうやって生きて行こう状態

次のドーム公演、全く当たらないんだもん。人生そんなに甘くない

と言うことで、ほぼ1か月走れなくてようやくランナー復帰、体調上向きです。
今日で4日目となりました・・・現実は体力ガタ落ち

それでも少しずつ走れて嬉しい

大会が続くけど、ぶっつけ本番で臨みます

2025年01月26日
病気のこと
今月末で癌の手術して丸2年、最後の抗がん剤治療からは1年半。
あっという間なのか、まだ2年しか経過してないのかとか色んな感情。
時間があの時の絶望感を解決してくれたとは言え、思い出すと涙する。
2か月に一度のペースで癌の再発転移がないのか検査をして下さる。
先月は血液検査(腫瘍マーカー)の値が異常に上がっていて再検査に。
CT検査は問題なかったのだけど、判断材料としている血液検査。
改めて1か月後に検査することに・・・お正月を挟んでこの1か月不安だらけ。
もし再発転移していたら、抗がん剤治療かな、それとも死んじゃうのかな・・・
改めてイキルことを深く考えさせられました。
先日、血液再検査。先生「大丈夫でしたよ」って第一声!
心臓バクバクしながら先生にお礼を。
何でも、腫瘍マーカーって時々変な動きをすることもあって、
先生を悩ませることもあるそうなんです。
ほんと心配して下さった皆さま、ありがとうございました。
そんなわけで元気です(・・?
実は今月目の手術をしました。
白内障と緑内障手術なんです

まあお年頃と言えばそうかもしれないけど、ちょっと早くないか?
どうも抗がん剤治療をすると副作用で目の病気になりやすいみたい。
ほんと一気に見えなくなり、日常生活に支障をきたすほど。
当然、目を開けたまま手術なので怖かったな

でも今はよーく見えます、世界が変わった

だけどしばらくは運動禁止

ランナーにとってはここがキツイ、ウォーキングするしかないね。
またまたそんなわけで、走ってもないのに足のトラブル。

小指側が出っ張てて変なカッコの足。
年末から腫れて痛いなあ、そのうちに治るかと期待したけど悪化する一方。
ついに靴もスリッパの履けなくなってしまい、お医者さんへ。
しもやけ発症して菌が入ってしまったみたい

人生初のしもやけ、バカにしちゃいけないね。
靴も履けないので、この寒空にビーチサンダル履いたり(変な人)
ほんと何事もない生活ってありがたいことなのねって、またまた実感です

早く元気に走りまわりたいな

2024年12月21日
あれから2年
2年前の師走、癌の宣告を受けてどうしようもない絶望感

主治医の先生はじめ、家族・友人の皆さまにお世話になり元気で走り回ってます。
直接お話できない方でご心配下さっている方々、本当にありがとうございます。
まだ油断はできない状態なので、2か月に1度の定期検診がドキドキで・・・
先日はりつこさんと松本へ。
夏フェスに出演したサザンのライブを見に映画館へ(^^♪
そうなんです、夏フェスの抽選でハズレだったのよ

やっぱりライブはいいね!全国ツアーは当選したので今からワクワクです


国宝松本城、天守閣まで上ったけど急階段で危ない。
観光用に緩いスロープつければいいのに(国宝なのでマサカね

そして本日は30キロ走。
氷点下5℃、一度温まったのにすぐに汗冷えして寒かった


髪の毛バリバリに凍ってた。
松井さんと、途中から登場の森さんと30キロ達成!
これで年が越せる(ランナーあるある?)
明日から大雪のようです

長野の冬は辛いよ。
2024年01月14日
闘病記その5
中学時代の同級会がありました、みんな変わらないね


いやいやそれはないから、みんな変わってるよ(笑)
しかしみんな可愛かったね

6月で最終の抗がん剤治療が終わり、CTなどの検査をして「寛解」となりました。
※寛解・・・全治とまでは言えないが、病状がおさまっておだやかであること
すぐには全開バリバリとは行きません。
まだ薬の影響があって、思うように体は動かせない、息切れやだるさも残っている。
いつになったら元に戻れるのかって悲しくなり、七夕に願いを書いたり

少しでもモチベーション維持したくって、西公園に行ったり、菅平合宿にお邪魔したり。
目指すは10月の大町アルプスマラソンでのハーフ完走。
この辺りから体力が戻って来た実感がありました。
2か月に1度の定期検査はドキドキします。
再発・転移の心配は常にあります。
幸いにも後遺症などは出ていないけど、リンパ浮腫は突然やって来るので
それもまた心配。
病気をしてからイキルことがどれほど尊いか考えさせられました。
毎日、全力で楽しくイキル、笑顔を絶やさない、単純だけどこれが一番ね!
ついにペットボトルの中身の凍ってしまう季節だけど、春のフルマラソン復帰に向けて
少し無理して走っています。

もし身近で病気で苦しんでいる方がいらしたら、
必ず治ります、大丈夫です!とお声がけしてあげてください。
2024年01月08日
闘病記その4
入院中よりずっと友人たちが心配してくれて、
励ましのメールもらったり、お見舞い頂いたり、遠方よりわざわざ
会いに来てくれたり、その時々も感動して涙が出たけど、
今思い出してもありがたくって、ありがたくって・・・
先生の説明では、病理検査の担当の方が「こんな小さな細胞、
見落とさずによく発見したな」とおっしゃってた。
最終診断はグレードの中でも悪い方になってしまった。
でも私は命拾いしたのかもしれない。
抗がん剤の標準治療で使用する薬だと、末梢神経障害(手足のしびれ・痛みなど)の
副作用あり、走れなくなる可能性も高いと言う。
別の薬を勧められ、どちらかを選択しなければならない。
迷わずに後者の薬でお願いした。
他に副作用や後遺症など、数えきれないくらいに書かれてある同意書にサインした。
1回目は入院して抗がん剤治療を受けた。
3週に1回の周期で6回点滴を受けなければならない、これが6月まで続いた。
幸いにも食欲はあるし吐き気もなく順調。
担当の看護師さんによると、こんなに順調な人は初めてと。
今回も病院での記録を塗り替えているのか、自分(笑)
1回目の点滴後、ついにキターーーーーー頭髪が抜けました。
お風呂での手ぐし、止め時が分からないくらいに抜けたっけ。
鼻毛もなくなったけどいつだったのか?マスクにその形跡もなかったし、
巻き散らかしていたのか(-_-;)
髪の毛はまた生えて来るのでそんなに気にしなかったけど、
神経障害は敏感だったな。
職場の復帰は1か月で出来ました(通院などお休みはあったけど)
1クールの中で波があって、調子が悪い時は全身から血の気が引いていく感じ。
脚に力が入らず気力で頑張っているつもりでも、常に横になりたい。
先生からランニングOKと言われていても、どうしようもないだるさ。
それを理由にへこたれたくないけど、体が動かない。
酷い時は出社1時間で早退、
やっとこ運転して帰宅して2階のベッドまで這って行ったっけ。
点滴によっていつも白血球減少してしまうので、抑制する注射もするのだけど
これもだるさに拍車をかけていたのかな。
ちなみに1本12万ですわよ(保険はもちろん効きます)
当時は元気に見せていたけど、実はメンタルも最悪で帰りの車で号泣してたっけ。
でも、乗り切って絶対に元気になってマラソン復帰するんだ!って気持ちは
忘れなかったかな。
もうひとつ辛かったのが腰椎圧迫骨折。
抗がん剤はじめた頃から猛烈に腰が痛くって、強い痛み止め服用。
一時期は骨転移も疑われCT検査などで調べてもらったら、骨折してましたって。
元々骨が弱いところに来て抗がん剤など色んな要素が加わったためらしい。
身長2センチ縮んでしまった、ミニミニ級がもっとミニミニに。
調子いい時には走ってみたけど、1キロも続けて走れない。
1キロ7分ですら走れない、5キロ続けて走れた時は嬉しかったな。
でも基本的には息が上がってしまい、足に力が入らずに走れない。
ほんとに回復するのだろうか、まだまだ苦しい日々。
幸いにも神経障害の副作用はなく抗がん剤治療乗り切りました。
つづく・・・・・
2024年01月06日
闘病記その3
手術より2日目、背中に入っていた痛み止め用のチューブを抜いてもらう。
スッキリしたけど内服薬の痛み止めだと、お腹痛いよ
先生より手術中に行った癌細胞転移の簡易検査だと、問題ないとのお話。
毎朝回診に来て下さる先生に余計な話しをしちゃう。
「何時間も集中して手術されて、お腹空かないんですか、お昼抜きですか」
なんてほんとお節介。
常に真摯に対応して下さる先生「不思議と喉も乾かないしお腹も空きませんよ」って。
手術3日目より普通食、当然完食して売店にアイスクリームを買いに行くのが楽しみで。

お腹痛いので笑えない、ナースステーションぐるぐる中もお腹抑えてゆっくりと。
そして階段上り下りもやってみた、最初は10往復から→退院する頃には30往復。
そんな私をみて、お掃除をして下さる方に「こんなに歩いている人、今までにいない」
と言われた。
そうです、少しでも体力落としたくない、早くマラソンに復帰したい!
ぐるぐるしている時に良くお会いした方がAS子さん
やっぱりお腹に手を当てて痛そうにしている、
それでもスキーに行きたいからってすごく頑張っていた。
どうもこの時にマラソンを熱く語ったがために、AS子さんをマラソンの道に
引きずり込むようになったみたい(笑)
手術後の管やドレーンなどは4日目で全て外された、スッキリ。
シャワー解禁となり傷口を見ると22センチ、すごいことになっている。
改めてショックを受けた
12日目、いよいよ退院。順調なので予定より早い退院。
看護師さんより退院後の心得のような冊子を頂き、説明をして頂く。
今までできていたことが、できなくなりますって。
確かネットにも多くの人が書いてあったな。
だけどね、ネットの書き込みってマイナスなことが多いのよ。
もし病気で苦しんでいる方がいらしたら、ネット情報は見ない方がいいと思います。
いよいよ退院の日、12日ぶりに普段着になる。
小雪が舞って寒かったな、病院はいつも常夏だけど。
ダンナさんが迎えに来てくれて、いきなりラーメンを食べて帰る、食欲どんだけ~
車の振動がお腹に響いて痛い痛い。
夜はビールで乾杯(先生、飲んでOKと仰ってた)
退院翌日、吹雪の中60分ゆっくりウォーキング(バカ)
しばらくはウォーキング生活、だって体動かすのが好きなんだもん。
10日後、検査など再び病院へ。
そこでまた命の宣告が。
「骨盤リンパ節へ転移してました、とても小さな細胞ですがこの先も
治療をしなくてはいけません」って・・・
抗がん剤治療をおススメしますって・・・
また頭の中が真っ白になる、今度こそ死んじゃうの?どうして試練ばかり?
つづく・・・・・
スッキリしたけど内服薬の痛み止めだと、お腹痛いよ

先生より手術中に行った癌細胞転移の簡易検査だと、問題ないとのお話。
毎朝回診に来て下さる先生に余計な話しをしちゃう。
「何時間も集中して手術されて、お腹空かないんですか、お昼抜きですか」
なんてほんとお節介。
常に真摯に対応して下さる先生「不思議と喉も乾かないしお腹も空きませんよ」って。
手術3日目より普通食、当然完食して売店にアイスクリームを買いに行くのが楽しみで。

お腹痛いので笑えない、ナースステーションぐるぐる中もお腹抑えてゆっくりと。
そして階段上り下りもやってみた、最初は10往復から→退院する頃には30往復。
そんな私をみて、お掃除をして下さる方に「こんなに歩いている人、今までにいない」
と言われた。
そうです、少しでも体力落としたくない、早くマラソンに復帰したい!
ぐるぐるしている時に良くお会いした方がAS子さん

やっぱりお腹に手を当てて痛そうにしている、
それでもスキーに行きたいからってすごく頑張っていた。
どうもこの時にマラソンを熱く語ったがために、AS子さんをマラソンの道に
引きずり込むようになったみたい(笑)
手術後の管やドレーンなどは4日目で全て外された、スッキリ。
シャワー解禁となり傷口を見ると22センチ、すごいことになっている。
改めてショックを受けた

12日目、いよいよ退院。順調なので予定より早い退院。
看護師さんより退院後の心得のような冊子を頂き、説明をして頂く。
今までできていたことが、できなくなりますって。
確かネットにも多くの人が書いてあったな。
だけどね、ネットの書き込みってマイナスなことが多いのよ。
もし病気で苦しんでいる方がいらしたら、ネット情報は見ない方がいいと思います。
いよいよ退院の日、12日ぶりに普段着になる。
小雪が舞って寒かったな、病院はいつも常夏だけど。
ダンナさんが迎えに来てくれて、いきなりラーメンを食べて帰る、食欲どんだけ~
車の振動がお腹に響いて痛い痛い。
夜はビールで乾杯(先生、飲んでOKと仰ってた)
退院翌日、吹雪の中60分ゆっくりウォーキング(バカ)
しばらくはウォーキング生活、だって体動かすのが好きなんだもん。
10日後、検査など再び病院へ。
そこでまた命の宣告が。
「骨盤リンパ節へ転移してました、とても小さな細胞ですがこの先も
治療をしなくてはいけません」って・・・
抗がん剤治療をおススメしますって・・・
また頭の中が真っ白になる、今度こそ死んじゃうの?どうして試練ばかり?
つづく・・・・・
2024年01月04日
闘病記その2
明けましておめでとうございます。
手術の朝が来てしまった。
不安だらけでサザンのYouTube見る “希望の轍”
もう泣きたい、逃げ出したい。
9時半が迫っている、担当の看護師さんとダンナさんと歩いて手術室へ。
じゃあまた!と手を振ってからメガネも外して看護師さんと奥へ歩いていく。
近眼なので全く見えないけど、大勢のスタッフの方々が待っていてくれた。
ベッドはふかふかで温かい。
エビのように横向きで丸くなって、背中に注射してチューブを入れる。
これが硬膜外麻酔ってやつかな。
たぶん?14:30頃、ICUにいた。
この時点でダンナさんは予定の手術時間よりかなり早く呼ばれたので、
良くないことを想像していたらしい。
先生と少しだけ会話した、順調に終わりましたとのこと。
「先生、お腹すきました。焼き肉が食べたいです」と話したらしい。
手術前の栄養士さんとの面談で栄養失調を疑われたのに、ほんと食い意地が張っている(笑)
ホッとしたのと重病人になってしまった切なさとで涙が出た。
翌朝まではICUで過ごさなければいけない。
これが長くってね・・・全身管だらけ、お腹22センチも切ってるので痛くって

看護師さんは頻繁に様子を見に来てくれる。
お腹痛いです、痛み止めもっと強いのお願いしますと言ってもなかなか難しいらしい。。
コンタクトもメガネもないので、何時なのかも分からない。
足に巻かれたチューブや点滴も音が気になるし、お腹は痛いし寝がえりなんてとんでもないし。
ほんと長い夜だったな。
翌朝看護師さん3人がかりで着替えさせてもらって病棟へ移動。
看護師さんって嫌な顔せずテキパキと仕事されて、「天使」だと思いました。
そして血栓症にならないように、手術翌日でも歩くのよ。
歩くの大変と言う方もいる中、マラソン根性でスイスイと(まさかね、やっとこね)
主治医の先生がいらして「手術時間は3時間50分でした、同種の手術では
僕の中で最短記録です」とおっしゃってた。
「よっしゃー!先生の最短記録作れた!サブフォーじゃん」なんて心の中で叫んだ(笑)
そして3日ぶり?食事解禁

と言っても体への負担がかからないように重湯から。

こんなトロトロ系の食事でもすっごく美味しかった。
人によっては全く食べられないようだけど、私はこれだけじゃ足りないよ

人生初の入院生活はつづく・・・・・
2023年12月30日
闘病記その1
今年も年末恒例行事が無事に終わりました。

濃い方々との忘年会、ほんとトークが熱いわ


お正月のお花、豪華にアレンジできました。
昨年、ちょっとおかしいなって感じで精密検査を受けてきました。
12月中旬に「〇〇癌」ですと宣告がありました、婦人科系の病気です。
頭が真っ白になりその夜はダンナさんと共に泣きました。
ワタシ死んじゃうの?半世紀生きたから十分か、でも生きていたい。
ダンナさんと結婚する時に「俺より先に死ぬなよ」と言われたけど約束守れない、ごめん・・・
翌朝の水曜日、なぜだかルーティンなので西公園に向かう。
あと何回来れるのだろうか・・・って切なさがこみ上げてきた。
総合病院に紹介状を持って受診。
K先生と言う温和な方で、私に任せて下さい大丈夫ですと言ってもらい楽になる。
数日に分けて何種類もの検査を受ける。
ダンナさんと先生のお話を聞きに行く。
グレード的には軽い方だけど、病巣の内容があまりよろしくない。
病巣を摘出してかつ、骨盤と大動脈リンパ節の切除しないと転移してしまう。
手術時間は6~7時間です。
もっと簡単に考えていたので、手術時間聞いただけで怖くなる。
リンパ節を切除すると「リンパ浮腫」になりやすく、足がパンパンにむくみ象の足のようになるらしい。
治療方法が確立されてないので、マラソンも出来なくなる可能性がありますと・・・
でもね、マラソンよりも生きる方を選びました。
翌日は横浜アリーナでサザン桑田さんライブ。
もしかしたらこれで最後かもなんて思うと涙が止まらなくって。
来年はサザン45周年ライブあるみたい、よし!ガンバって治療しよう!
(結局茅ヶ崎ライブは当選ならず

年が明けて先生のお話が続きます。
リンパ浮腫の他に手術の合併症や後遺症などお話を聞く。
「先生、わたしこんなに元気なのにほんとに癌ですか、何かの間違いじゃないですか」
って大変失礼なこと聞いてしまった。
1月下旬の手術に向けて準備が始まる。
この頃、ランニング友達に告知を始める。
みんな自分のことのように心配してくれて、勇気が出ました。
でも日に日に怖くて逃げだしたい、意味不明に海外逃亡したい。
RUNは問題がないと言うので手術前日まで行ってました(バカ)
りえさんからあの池江瑠花子さんも闘病中に持っていたと言う、
鳥森神社のお守りが届く、どうか守って下さい。
手術前日より入院、まだ心がフワフワしていてどこかへ逃げてしまいたい。
怖い、怖い、朝が来ませんように。
つづく・・・・・