2024年04月22日
第26回長野マラソン走ってきました~
2003年初マラソンより何回目(・・?
少し暑かったけどコンディショングッドの中、完走できました。
今年は病気あけと言うことで特別な一日。
スタート前、今年もとしえさん、ぐんまちゃん遠方より来てくれてありがとう。
目標タイムは静岡マラソンで果たせなかった3:30切り。
焦らず余裕を持って進みます。
11キロ地点、同級生のイタルくんより動画頂いた。
(この◁マークどうやって消すの)
新聞の影響は大きくエムウェーブでは、知らない?おじいさんに「病気大丈夫かやぁ」と
気遣ってもらったり、声援をたくさん頂きました。
やっぱりマラソンはキツイね、後半はくたびれちゃって体が動かない。
35キロ手前では、こんなカワイイ応援も頂き涙が出そうでした。
同じ病で入院していたA子さんちの娘ちゃんのわかちゃん、ありがとー
ゆっくりだけど何とか走れてスタジアムまで1キロ切ったあたり・・・
もも裏がいきなり攣ってしまってしばらく動けない。
少し休んだら走れそう、信毎に掲載して頂いた「ゴール直前の光景」
今年もこの光景を見られた、
あと200mもう少し、もういろんなことが頭の中をぐるぐるしてしまった
結果は3:37.でした、また次頑張ろう。
そして場内放送で「先日信毎に掲載された〇〇花子さんがゴールしました」と言って
優勝したみたいに盛大なインタビュー。
「病気で苦しんでいる方がいらっしゃったら、共に頑張りましょう」と言った記憶が・・・
はい、マラソン人生の中で一番記憶に残る、感動したゴールでした。
次はテレビ信州でもインタビュー
ローカルニュースで放送されるのかな?
ホッとして記念撮影。
待ち合わせ場所に行くと、「ゆかさん」
三重からサプライズで応援来てくれました。
古賀さんと一緒にいた謎の美女はゆかさんだったのね。
ここでもまた涙の再会
そ
そして一番のお楽しみ、打ち上げ
なんとレジェンド利根川さんも来てくれたのよ、脚スリスリはタイミング逃し残念(笑)
こうして多くの皆さまに支えられて、癌と言う大きな病気を患ったけどマラソン完走できました。
一緒に練習して下さる方、一緒に喜びと悲しみを共有してくれる友人、応援して下さる方々、
本当にありがとうございました。
少し暑かったけどコンディショングッドの中、完走できました。
今年は病気あけと言うことで特別な一日。
スタート前、今年もとしえさん、ぐんまちゃん遠方より来てくれてありがとう。
目標タイムは静岡マラソンで果たせなかった3:30切り。
焦らず余裕を持って進みます。
11キロ地点、同級生のイタルくんより動画頂いた。
(この◁マークどうやって消すの)
新聞の影響は大きくエムウェーブでは、知らない?おじいさんに「病気大丈夫かやぁ」と
気遣ってもらったり、声援をたくさん頂きました。
やっぱりマラソンはキツイね、後半はくたびれちゃって体が動かない。
35キロ手前では、こんなカワイイ応援も頂き涙が出そうでした。
同じ病で入院していたA子さんちの娘ちゃんのわかちゃん、ありがとー
ゆっくりだけど何とか走れてスタジアムまで1キロ切ったあたり・・・
もも裏がいきなり攣ってしまってしばらく動けない。
少し休んだら走れそう、信毎に掲載して頂いた「ゴール直前の光景」
今年もこの光景を見られた、
あと200mもう少し、もういろんなことが頭の中をぐるぐるしてしまった
結果は3:37.でした、また次頑張ろう。
そして場内放送で「先日信毎に掲載された〇〇花子さんがゴールしました」と言って
優勝したみたいに盛大なインタビュー。
「病気で苦しんでいる方がいらっしゃったら、共に頑張りましょう」と言った記憶が・・・
はい、マラソン人生の中で一番記憶に残る、感動したゴールでした。
次はテレビ信州でもインタビュー
ローカルニュースで放送されるのかな?
ホッとして記念撮影。
待ち合わせ場所に行くと、「ゆかさん」
三重からサプライズで応援来てくれました。
古賀さんと一緒にいた謎の美女はゆかさんだったのね。
ここでもまた涙の再会
そ
そして一番のお楽しみ、打ち上げ
なんとレジェンド利根川さんも来てくれたのよ、脚スリスリはタイミング逃し残念(笑)
こうして多くの皆さまに支えられて、癌と言う大きな病気を患ったけどマラソン完走できました。
一緒に練習して下さる方、一緒に喜びと悲しみを共有してくれる友人、応援して下さる方々、
本当にありがとうございました。
2024年04月14日
長野マラソン走れそうです!
昨年は病気治療真っ最中でした、長野マラソンは欠場
もう1年かあ・・・早いね。
昨年は歩いて見た西公園の桜、今年は走って見られました
これ、K一師匠に怒られてる松井さん(笑)
ダウンジョグは桜のトンネルへ(あれ?いまいちトンネルじゃない)
こちらは千曲市のアンズの開花。
昨年は車で行ったけど、今年は走って行かれました
あと1週間です、まずはスタートラインに立てたことに感謝して完走目指したいと思います。
2024年03月11日
静岡マラソン2024走ってきました~
昨年の今頃は手術直後、抗がん剤治療始まったばかりで、
こうやってまたフルマラソン走れることは、想像がつきませんでした。
そしてこの1週間、どうも体調不良で金曜日のお昼までは欠場方向でいました。
しかし!夕方になり走れそうな感じに回復してきて、慌てて荷造り。
ホテル、キャンセルしなくて良かった~
前日のマラソンフェスタ。
ミチヨキャプテン、長野県男子代表のゆうへいくんと。
とにかく具合が悪くなったら迷わずストップする決意でいました。
気温は低め、風もほぼなく、コンディショングッド
まずはスタートに立てた喜びをかみしめ、でも完走できるか不安ばかりで・・・
目標は3:30切り!でも欲をかいて25分くらい
1週間ほぼ走らなかったせいか足が軽い軽い、ってことはオーバーペースじゃん
もしかしたら20分くらいで行けちゃう(・・?
22キロ辺りからひたすら続く海岸線、右手に海!左手にでっかい富士山!
長野県人が一番テンションアゲアゲの景色だよん
しかし、徐々にくたびれてきた~
足がいっぱいいっぱい、時々ピキッと攣りそうな場面も。
病気後の目標としていたフルマラソン、ここで負けてたまるか!
41キロ地点、今回も古賀さんと池田さんの応援を頂き何とか前に進める。
やっとこゴールできました、3:31’21 目標未達
完走メダルなど受け取って、しんみりと感動に浸りたいところだったけど、体中がしびれてきた
立っていられなくなり救護所のお世話になりました
日向ぼっこしているだけで、ほったらかし(笑)
ピースしている場合じゃない(笑)
ほどなくして古賀さんたちも駆け付けてくれ、元気を取り戻しました。
そして静岡マラソンのこれがいいのよ
ゴールの清水港では新鮮な海鮮丼を頂けるのよ。
さっきまで救護所にいたのに、この復活の早さ。
静岡市内へ戻って2次会。
この2次会だけのために、千葉県よりりえさんが来てくれたのよ
どーだ!美人ギャル三人組
(ミチヨキャプテンもりえさんも、美容には半端なく気をつけている、見習いたい)
こうして思い出に残る静岡マラソンとなりました。
静岡県の皆さま、温かい応援ありがとうございました。
来月は地元・長野マラソンです。
2024年03月02日
2024年冬
2か月に1度の定期検診は結果を聞くまで、ドキドキします。
診察室に入ってまず先生の顔色を伺います・・・・・
深刻な顔してないかな?とか、数秒の間に色々考えちゃいます
今回も合格で良かった
先日、上山田の温泉で嫁ぎ先父母と実家両親のダイヤモンド婚のお祝いを行いましたよ
60年共に元気で過ごせるって凄いね、健康っていいな。
ここ数日はまた真冬のような寒さで雪も降ったり
(スキーじゃなくてソリやってきました)
RUNの話題ですが水曜日は5:30から、土曜日は6:00からなんちゃってポイント練習です。
真っ暗だしさぶいし男も女も辛いよ!
今朝は明るくなって来て嬉しい、ランニングライト不要(暗いとテンション下がっちゃう)
そして公園で良くお行き会いするおじさんに「遠目で見たら小学生かと思ったよ」
と言われますます嬉しい(単純)
来週は病気後初のフルマラソン。
マラソン1週間前のメニューと言えば10キロPRだけど、1キロ×7本インターバルにしました。
インターバルと言えばキヨロン切るイメージですが、まだまだ無理よ
ラスト1本、松井さんがペーサー引き受けてくれたけど、どう頑張っても離れて行く・・・
ただただ松井さんが暴走ペーサーなだけでした(笑)
来週はどうか無事に完走できますように。
そして明日は東京マラソン。
ゆきちゃん頑張れ!
青梅マラソンで友達になったゆきちゃん。
ほとんど同じくらいのゴール、またまたナンパして一瞬の間に友達に
20代の方かと思ってお喋りしていたら、えっ!同世代!だってビューティフルなんだもん
明日も来週も穏やかなコンディションでありますように
2024年02月19日
第56回青梅マラソン走ってきました~
※※(チョメチョメ)歳の誕生日に青梅マラソン走ってきました~
過去の青梅は腰痛真っ最中だったり、疲労骨折明けだったり、昨年は
手術直後で欠場だったり、思うように走れた記憶がありません。
今年は思いっきり走れるように体調万全
走力は置いといて、30キロ走れるだけの練習をして来ました。
走る前に「完走おめでとう」の記念撮影。
この日は暑くって、毎日極寒の中走っていた長野県人としては、体がびっくりしていました
申告タイムかなり遠慮がちに書いたのかHブロック、スタートまで2分もロスタイムあり。
転ばないようにだけ気を付けてスタート。
青梅路は道幅が狭く追い越しも大変で、でも後方から徐々に抜いて行って、
あれ(・・? 上りがあんまりないじゃんと錯覚し意外と余裕。
招待選手でオリンピック内定の赤崎選手、宙を飛ぶように走っていて一瞬で惚れました
折り返してあと半分、下り基調になるのでもっとイケイケにしたいけど、
少しずつ脚が重くなってきた
25キロ辺りから脚が止まってしまった、でも歩くことなく絶対に完走するんだ!
ラスト5キロはほんと長く、でも応援が盛大で元気をもらえました。
グロスで2:25’33 ネットが2:23’42 2:30以内が目標だったので合格
走っているのが楽しくて楽しくて、「生きてる」て実感ができたひと時でした。
ぐんまちゃんがゴールで待っていてくれた、嬉しかったな
長野マラソンお待ちしています。
とにかく暑くって喉がカラカラ、太陽の下での水分補給は最高でした
現在全身筋肉痛です、フルはあと12キロかあ・・・と考えると気絶しそうだけど、
元気に30キロ完走出来たのでやれやれです。
青梅市の皆さま、温かい応援ありがとうございました。
2024年01月14日
闘病記その5
中学時代の同級会がありました、みんな変わらないね
いやいやそれはないから、みんな変わってるよ(笑)
しかしみんな可愛かったね
6月で最終の抗がん剤治療が終わり、CTなどの検査をして「寛解」となりました。
※寛解・・・全治とまでは言えないが、病状がおさまっておだやかであること
すぐには全開バリバリとは行きません。
まだ薬の影響があって、思うように体は動かせない、息切れやだるさも残っている。
いつになったら元に戻れるのかって悲しくなり、七夕に願いを書いたり
少しでもモチベーション維持したくって、西公園に行ったり、菅平合宿にお邪魔したり。
目指すは10月の大町アルプスマラソンでのハーフ完走。
この辺りから体力が戻って来た実感がありました。
2か月に1度の定期検査はドキドキします。
再発・転移の心配は常にあります。
幸いにも後遺症などは出ていないけど、リンパ浮腫は突然やって来るので
それもまた心配。
病気をしてからイキルことがどれほど尊いか考えさせられました。
毎日、全力で楽しくイキル、笑顔を絶やさない、単純だけどこれが一番ね!
ついにペットボトルの中身の凍ってしまう季節だけど、春のフルマラソン復帰に向けて
少し無理して走っています。
もし身近で病気で苦しんでいる方がいらしたら、
必ず治ります、大丈夫です!とお声がけしてあげてください。
2024年01月08日
闘病記その4
入院中よりずっと友人たちが心配してくれて、
励ましのメールもらったり、お見舞い頂いたり、遠方よりわざわざ
会いに来てくれたり、その時々も感動して涙が出たけど、
今思い出してもありがたくって、ありがたくって・・・
先生の説明では、病理検査の担当の方が「こんな小さな細胞、
見落とさずによく発見したな」とおっしゃってた。
最終診断はグレードの中でも悪い方になってしまった。
でも私は命拾いしたのかもしれない。
抗がん剤の標準治療で使用する薬だと、末梢神経障害(手足のしびれ・痛みなど)の
副作用あり、走れなくなる可能性も高いと言う。
別の薬を勧められ、どちらかを選択しなければならない。
迷わずに後者の薬でお願いした。
他に副作用や後遺症など、数えきれないくらいに書かれてある同意書にサインした。
1回目は入院して抗がん剤治療を受けた。
3週に1回の周期で6回点滴を受けなければならない、これが6月まで続いた。
幸いにも食欲はあるし吐き気もなく順調。
担当の看護師さんによると、こんなに順調な人は初めてと。
今回も病院での記録を塗り替えているのか、自分(笑)
1回目の点滴後、ついにキターーーーーー頭髪が抜けました。
お風呂での手ぐし、止め時が分からないくらいに抜けたっけ。
鼻毛もなくなったけどいつだったのか?マスクにその形跡もなかったし、
巻き散らかしていたのか(-_-;)
髪の毛はまた生えて来るのでそんなに気にしなかったけど、
神経障害は敏感だったな。
職場の復帰は1か月で出来ました(通院などお休みはあったけど)
1クールの中で波があって、調子が悪い時は全身から血の気が引いていく感じ。
脚に力が入らず気力で頑張っているつもりでも、常に横になりたい。
先生からランニングOKと言われていても、どうしようもないだるさ。
それを理由にへこたれたくないけど、体が動かない。
酷い時は出社1時間で早退、
やっとこ運転して帰宅して2階のベッドまで這って行ったっけ。
点滴によっていつも白血球減少してしまうので、抑制する注射もするのだけど
これもだるさに拍車をかけていたのかな。
ちなみに1本12万ですわよ(保険はもちろん効きます)
当時は元気に見せていたけど、実はメンタルも最悪で帰りの車で号泣してたっけ。
でも、乗り切って絶対に元気になってマラソン復帰するんだ!って気持ちは
忘れなかったかな。
もうひとつ辛かったのが腰椎圧迫骨折。
抗がん剤はじめた頃から猛烈に腰が痛くって、強い痛み止め服用。
一時期は骨転移も疑われCT検査などで調べてもらったら、骨折してましたって。
元々骨が弱いところに来て抗がん剤など色んな要素が加わったためらしい。
身長2センチ縮んでしまった、ミニミニ級がもっとミニミニに。
調子いい時には走ってみたけど、1キロも続けて走れない。
1キロ7分ですら走れない、5キロ続けて走れた時は嬉しかったな。
でも基本的には息が上がってしまい、足に力が入らずに走れない。
ほんとに回復するのだろうか、まだまだ苦しい日々。
幸いにも神経障害の副作用はなく抗がん剤治療乗り切りました。
つづく・・・・・
2024年01月06日
闘病記その3
手術より2日目、背中に入っていた痛み止め用のチューブを抜いてもらう。
スッキリしたけど内服薬の痛み止めだと、お腹痛いよ
先生より手術中に行った癌細胞転移の簡易検査だと、問題ないとのお話。
毎朝回診に来て下さる先生に余計な話しをしちゃう。
「何時間も集中して手術されて、お腹空かないんですか、お昼抜きですか」
なんてほんとお節介。
常に真摯に対応して下さる先生「不思議と喉も乾かないしお腹も空きませんよ」って。
手術3日目より普通食、当然完食して売店にアイスクリームを買いに行くのが楽しみで。
お腹痛いので笑えない、ナースステーションぐるぐる中もお腹抑えてゆっくりと。
そして階段上り下りもやってみた、最初は10往復から→退院する頃には30往復。
そんな私をみて、お掃除をして下さる方に「こんなに歩いている人、今までにいない」
と言われた。
そうです、少しでも体力落としたくない、早くマラソンに復帰したい!
ぐるぐるしている時に良くお会いした方がAS子さん
やっぱりお腹に手を当てて痛そうにしている、
それでもスキーに行きたいからってすごく頑張っていた。
どうもこの時にマラソンを熱く語ったがために、AS子さんをマラソンの道に
引きずり込むようになったみたい(笑)
手術後の管やドレーンなどは4日目で全て外された、スッキリ。
シャワー解禁となり傷口を見ると22センチ、すごいことになっている。
改めてショックを受けた
12日目、いよいよ退院。順調なので予定より早い退院。
看護師さんより退院後の心得のような冊子を頂き、説明をして頂く。
今までできていたことが、できなくなりますって。
確かネットにも多くの人が書いてあったな。
だけどね、ネットの書き込みってマイナスなことが多いのよ。
もし病気で苦しんでいる方がいらしたら、ネット情報は見ない方がいいと思います。
いよいよ退院の日、12日ぶりに普段着になる。
小雪が舞って寒かったな、病院はいつも常夏だけど。
ダンナさんが迎えに来てくれて、いきなりラーメンを食べて帰る、食欲どんだけ~
車の振動がお腹に響いて痛い痛い。
夜はビールで乾杯(先生、飲んでOKと仰ってた)
退院翌日、吹雪の中60分ゆっくりウォーキング(バカ)
しばらくはウォーキング生活、だって体動かすのが好きなんだもん。
10日後、検査など再び病院へ。
そこでまた命の宣告が。
「骨盤リンパ節へ転移してました、とても小さな細胞ですがこの先も
治療をしなくてはいけません」って・・・
抗がん剤治療をおススメしますって・・・
また頭の中が真っ白になる、今度こそ死んじゃうの?どうして試練ばかり?
つづく・・・・・
スッキリしたけど内服薬の痛み止めだと、お腹痛いよ
先生より手術中に行った癌細胞転移の簡易検査だと、問題ないとのお話。
毎朝回診に来て下さる先生に余計な話しをしちゃう。
「何時間も集中して手術されて、お腹空かないんですか、お昼抜きですか」
なんてほんとお節介。
常に真摯に対応して下さる先生「不思議と喉も乾かないしお腹も空きませんよ」って。
手術3日目より普通食、当然完食して売店にアイスクリームを買いに行くのが楽しみで。
お腹痛いので笑えない、ナースステーションぐるぐる中もお腹抑えてゆっくりと。
そして階段上り下りもやってみた、最初は10往復から→退院する頃には30往復。
そんな私をみて、お掃除をして下さる方に「こんなに歩いている人、今までにいない」
と言われた。
そうです、少しでも体力落としたくない、早くマラソンに復帰したい!
ぐるぐるしている時に良くお会いした方がAS子さん
やっぱりお腹に手を当てて痛そうにしている、
それでもスキーに行きたいからってすごく頑張っていた。
どうもこの時にマラソンを熱く語ったがために、AS子さんをマラソンの道に
引きずり込むようになったみたい(笑)
手術後の管やドレーンなどは4日目で全て外された、スッキリ。
シャワー解禁となり傷口を見ると22センチ、すごいことになっている。
改めてショックを受けた
12日目、いよいよ退院。順調なので予定より早い退院。
看護師さんより退院後の心得のような冊子を頂き、説明をして頂く。
今までできていたことが、できなくなりますって。
確かネットにも多くの人が書いてあったな。
だけどね、ネットの書き込みってマイナスなことが多いのよ。
もし病気で苦しんでいる方がいらしたら、ネット情報は見ない方がいいと思います。
いよいよ退院の日、12日ぶりに普段着になる。
小雪が舞って寒かったな、病院はいつも常夏だけど。
ダンナさんが迎えに来てくれて、いきなりラーメンを食べて帰る、食欲どんだけ~
車の振動がお腹に響いて痛い痛い。
夜はビールで乾杯(先生、飲んでOKと仰ってた)
退院翌日、吹雪の中60分ゆっくりウォーキング(バカ)
しばらくはウォーキング生活、だって体動かすのが好きなんだもん。
10日後、検査など再び病院へ。
そこでまた命の宣告が。
「骨盤リンパ節へ転移してました、とても小さな細胞ですがこの先も
治療をしなくてはいけません」って・・・
抗がん剤治療をおススメしますって・・・
また頭の中が真っ白になる、今度こそ死んじゃうの?どうして試練ばかり?
つづく・・・・・
2024年01月04日
闘病記その2
明けましておめでとうございます。
手術の朝が来てしまった。
不安だらけでサザンのYouTube見る “希望の轍”
もう泣きたい、逃げ出したい。
9時半が迫っている、担当の看護師さんとダンナさんと歩いて手術室へ。
じゃあまた!と手を振ってからメガネも外して看護師さんと奥へ歩いていく。
近眼なので全く見えないけど、大勢のスタッフの方々が待っていてくれた。
ベッドはふかふかで温かい。
エビのように横向きで丸くなって、背中に注射してチューブを入れる。
これが硬膜外麻酔ってやつかな。
たぶん?14:30頃、ICUにいた。
この時点でダンナさんは予定の手術時間よりかなり早く呼ばれたので、
良くないことを想像していたらしい。
先生と少しだけ会話した、順調に終わりましたとのこと。
「先生、お腹すきました。焼き肉が食べたいです」と話したらしい。
手術前の栄養士さんとの面談で栄養失調を疑われたのに、ほんと食い意地が張っている(笑)
ホッとしたのと重病人になってしまった切なさとで涙が出た。
翌朝まではICUで過ごさなければいけない。
これが長くってね・・・全身管だらけ、お腹22センチも切ってるので痛くって
看護師さんは頻繁に様子を見に来てくれる。
お腹痛いです、痛み止めもっと強いのお願いしますと言ってもなかなか難しいらしい。。
コンタクトもメガネもないので、何時なのかも分からない。
足に巻かれたチューブや点滴も音が気になるし、お腹は痛いし寝がえりなんてとんでもないし。
ほんと長い夜だったな。
翌朝看護師さん3人がかりで着替えさせてもらって病棟へ移動。
看護師さんって嫌な顔せずテキパキと仕事されて、「天使」だと思いました。
そして血栓症にならないように、手術翌日でも歩くのよ。
歩くの大変と言う方もいる中、マラソン根性でスイスイと(まさかね、やっとこね)
主治医の先生がいらして「手術時間は3時間50分でした、同種の手術では
僕の中で最短記録です」とおっしゃってた。
「よっしゃー!先生の最短記録作れた!サブフォーじゃん」なんて心の中で叫んだ(笑)
そして3日ぶり?食事解禁
と言っても体への負担がかからないように重湯から。
こんなトロトロ系の食事でもすっごく美味しかった。
人によっては全く食べられないようだけど、私はこれだけじゃ足りないよ
人生初の入院生活はつづく・・・・・
2023年12月30日
闘病記その1
今年も年末恒例行事が無事に終わりました。
濃い方々との忘年会、ほんとトークが熱いわ
お正月のお花、豪華にアレンジできました。
昨年、ちょっとおかしいなって感じで精密検査を受けてきました。
12月中旬に「〇〇癌」ですと宣告がありました、婦人科系の病気です。
頭が真っ白になりその夜はダンナさんと共に泣きました。
ワタシ死んじゃうの?半世紀生きたから十分か、でも生きていたい。
ダンナさんと結婚する時に「俺より先に死ぬなよ」と言われたけど約束守れない、ごめん・・・
翌朝の水曜日、なぜだかルーティンなので西公園に向かう。
あと何回来れるのだろうか・・・って切なさがこみ上げてきた。
総合病院に紹介状を持って受診。
K先生と言う温和な方で、私に任せて下さい大丈夫ですと言ってもらい楽になる。
数日に分けて何種類もの検査を受ける。
ダンナさんと先生のお話を聞きに行く。
グレード的には軽い方だけど、病巣の内容があまりよろしくない。
病巣を摘出してかつ、骨盤と大動脈リンパ節の切除しないと転移してしまう。
手術時間は6~7時間です。
もっと簡単に考えていたので、手術時間聞いただけで怖くなる。
リンパ節を切除すると「リンパ浮腫」になりやすく、足がパンパンにむくみ象の足のようになるらしい。
治療方法が確立されてないので、マラソンも出来なくなる可能性がありますと・・・
でもね、マラソンよりも生きる方を選びました。
翌日は横浜アリーナでサザン桑田さんライブ。
もしかしたらこれで最後かもなんて思うと涙が止まらなくって。
来年はサザン45周年ライブあるみたい、よし!ガンバって治療しよう!
(結局茅ヶ崎ライブは当選ならず)
年が明けて先生のお話が続きます。
リンパ浮腫の他に手術の合併症や後遺症などお話を聞く。
「先生、わたしこんなに元気なのにほんとに癌ですか、何かの間違いじゃないですか」
って大変失礼なこと聞いてしまった。
1月下旬の手術に向けて準備が始まる。
この頃、ランニング友達に告知を始める。
みんな自分のことのように心配してくれて、勇気が出ました。
でも日に日に怖くて逃げだしたい、意味不明に海外逃亡したい。
RUNは問題がないと言うので手術前日まで行ってました(バカ)
りえさんからあの池江瑠花子さんも闘病中に持っていたと言う、
鳥森神社のお守りが届く、どうか守って下さい。
手術前日より入院、まだ心がフワフワしていてどこかへ逃げてしまいたい。
怖い、怖い、朝が来ませんように。
つづく・・・・・